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凱旋記念の・・・ [忠魂碑の類]

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 先日(5/14)、市川三郷町市川大門の町を散策中に目がとまった石碑です。
その文面ですが、主題である真ん中の行には、

  一 敷石拾弐坪  寄付者 村松猪八郎

とありましたので、村松猪八郎さんという方が、敷石を寄付したということを
石碑にして残したものだと言うことがわかります。
勝手に推測するならば、凱旋された村松為三さんは、敷石を寄付された
村松猪八郎さんのご子息かと思われます。

 次に右側の文字列ですが、

  為村松為三日露戦役凱旋紀念

とあります。これによって、寄付行為は、日露戦争に出征して
無事に凱旋を果たしたことの記念として行われたことがわかりました。

 最後に左端です。

  明治丗九年六月廿九日   石工 鈴木米吉

すなわち、この石碑は、日露戦争の終結後の明治39(1906)年の
6月29日に建てられたもので、建立にかかわった石工が鈴木米吉さん
であることもわかりました。

 ちょうど100年前のことです。
いまの時勢を重ね合わせると、何をかいわんや・・・ですが、
たんたんとその先を進めましょう。

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 で、こちらがその12坪の敷石に当たるものかと思われました。
石碑は、敷石の左手の草むらの中に、静かに立っていました。

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 もう少し、引いてみました。
問題の敷石は、神社の参道に奉納されたものでした。

070514hachimanjinja.jpg

 今回のお話は、市川三郷町市川大門の町に鎮座する八幡神社の境内で見かけた
100年の歴史を感じさせる石碑のことでありました。
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コメント 4

村松 祐子

驚きました!
はじめまして。私は、村松猪八郎の曾孫の嫁でございます。先日主人が、何気なく曾祖父、猪八郎の名をネットで検索したところ、えっ!びっくり、そんな・・・石碑があったの?と、驚きました。両親からも聞いたことありませんでした。かなり立派な御爺様だったことは聞いていたのですが、石碑は知りませんでした。知る人ぞ知るみたいな小さなこと、場所を発見して頂き感謝でいっぱいです。近いうちに見に行きたいと思います(草も取りに)。本当にありがとうございました。
by 村松 祐子 (2009-08-09 01:06) 

エート・マン

エート・マンも驚きました。
こうした石碑などにあるテキストを紹介する際に、実名はかなり注意が必要なので、ぼかしてしまうことが基本ですが、村松猪八郎さんの場合は、百年も経過しているから、もうまさに歴史上の人物として、よいのではと考えた次第です。そのことが、思わぬことになりました。御子孫がおられて、こうしたことをどう受け止められるか、ということまでは、ほとんど考えなかったのです。幸い、「感謝」とのこと、思わず、“よかったぁー”でありました。
さて、村松祐子さま、コメントを頂戴しまして、たいへんありがとうございました。
単に個人(故人?)さまの事績を紹介と言うより、そうした社会のある一面が残されていたことに注目して書き留めたものですが、それが勢い故人さまに通じて、深い感慨につながるとは、まったく予期しませんでした。
ともあれ、地域もどんどん変貌していきます。よかったことも、そうでなかったことも引きづりながら・・・。そして、大切なことも、そうでないことも、ともすると、どんどん忘れ去られてしまいます。みんなが忘れ去ると、ある特定な意識が恣意的に「そうだった」とか、変な歴史を担ぎ出すことがあります。そうではなくて、ほんとはこうなんだ、と確かな歴史の手がかりを見て歩き、忘れないようにメモしている、そんなエート・マンの活動にこれからもご理解ご支援をお寄せください。
蛇足ですが、折しも8月、戦争についてのことが、各種のマスコミなどで取り上げられます。確かに、負の歴史を風化させない、大切なことです。でも、どことなく、上滑りしている、そんなふうに思われてなりません。なぜ、そうなったのか、犠牲者は、それだけだったのか、もっともっときめ細かく見ていかないと、風化はとまらない。そんな思いで8月の日々を送っています。
村松為三は、凱旋を果たされましたが、戻られなかった方々もおられたのですし、またお国のためと戦場に動員させたものもあった。そうした証拠が、まだまだ、あるいは草に埋もれ、あるいは場所を変えたりしながら、残っています。もっともっとよく見ていかなければ・・・・。“長崎の日”に。
by エート・マン (2009-08-09 07:07) 

村松由美

ずいぶん前の投降ですが、たまたま目に留まりましたのでコメントさせていただきます。
村松為三の曾孫にあたる者です。
村松祐子さんは父の従兄弟の奥様です。
私が亡くなった祖父(為三の長男)から聞いていたのは、為三は日露戦争の折、二百三高地で戦病死したので、当時二歳であった祖父は父親の顔を知らずに育ったということでした。
ですが、祖父は明治39年の生まれ、為三の位牌の没年は明治41年、お墓を移動する時には為三の骨壷の中に遺骨がちゃんと入っていたことなどの事実からすると、明治38年に終了しているはずの日露戦争から、生還していたのか??
エート・マン様の発見された更なる事実からすると、謎はますます深まるばかりです。
ですが、曽々祖父猪八郎が、長女とくの婿養子で分家であった為三のために八幡様に寄贈をしていたことを知ることができ、曽々祖父の愛情に触れた気がしました。
一度探してみたいと思います。
ありがとうございました。
これからも、お元気で探索続けて下さい。
ブログも立ち寄らせていただきますね。
感謝を込めまして。

by 村松由美 (2019-07-29 09:23) 

bnvn06

村松由美さま
この度は、コメント頂戴いたしまして誠にありがとうございました。

このブログのこの部分は、別なブログサービスにのせていたものなのですが、そのサービスがもうだいぶ前に終わってしまい、こちらの現在進行中のブログに移し替えたものです。しかし、画像がついてきていなかったので、かなり意味不明状態に陥っていました。先ほど、画像を登録し直したので、ちょっと安心です。

それにしても、こちらのブログ本文で100年前のこととして紹介させていただいとことから、すでに10年余。とても古い記事にあらためてご注目いただけたこと、たいへんうれしく思います。
身近なところの歴史から、一つひとつ大切に引き継いでいくことの重要性は、平成から令和への時代の転換期において、つよく再認識されるところです。

このところ、新しい記事の更新をさぼってしまっていますが、継続の意思はございますので、また引き続きよろしくお願いいたします。
かさねてありがとうございました。 by エート・マン
by bnvn06 (2019-08-19 09:12) 

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